竹久夢二の略歴
竹久夢二は、明治末から昭和初期にかけて活躍、一世を風靡した詩画人です。大正の歌麿とも言われているように、その作品には市井のくらしに根付いた喜びや悲しみが表わされ、一世紀に近い時を経た今も人々の心を魅了します。美人画はもちろん、子供画や晩年は日本の山河を多く主題としました。 また、木版画の制作、楽譜や表紙装幀にも携わり、浴衣・半襟・手拭いなど日々の生活に用いるもののデザインにも情熱を注ぎ、日本のグラフィックデザイナーの先駆者として多くの素晴らしい作品を残しました。
明治17年 |
9月16日岡山県邑久郡本庄村に生まれる。本名 茂次郎 |
明治32年 |
神戸中学に入学。12月同校中退 |
明治33年 |
福岡県遠賀郡八幡村大字枝光に転籍 |
明治35年 |
早稲田実業学校に入学 |
明治38年 |
「直言」にコマ絵掲載される 「中学世界」に“筒井筒”が第一賞入選 |
明治42年 |
最初の著作「夢二画集・春の巻」発行 ベストセラーとなる |
大正1年 |
京都府立図書館において第1回夢二作品展覧会開催 |
大正7年 |
京都府立図書館において第2回竹久夢二抒情画展覧会 |
昭和6年 |
アメリカ・ヨーロッパへ旅立つ(昭和8年帰国) |
昭和9年 |
9月1日富士見高原療養所で50歳の生涯を閉じ、有島生馬氏らにより雑司ケ谷墓地に埋葬される |